BAVYMAISON

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"有名ではない名曲" の話。

皆様、あけましておめでとう!月並みですが、今年も宜しくです。2017年は個人的に色々な事を考えさせられるタイミングがいくつかあって、音楽の事で言うと、初めて組んだバンドや更に遡って音楽が好きになったきっかけとか、一回丸っと、自分の事を今の視点から調べてみたいという気分になったんだ。そんな事をしている冬の始まりにとても嬉しい出来事があってちょっと長くなるけど読んでみてほしいな。これは、僕が17年前に出会った"有名ではない名曲" の話。16歳の僕は初めてバンドを組んだ。Hi-STANDARD、HUSKING BEE、Hawaiian6、BRAHMANといったメンバー3人のやりたいコピーをただやるというノーコンセプトな活動の中、いよいよオリジナルを数曲作り始めた時期だった。なぜならライブハウスに出始めてみると周りはオリジナルで勝負してるもんで、コピーってちょっと子供じゃね?ってなっていったんだ。僕が生まれて初めて書いたオリジナル曲はどんな曲だったかというと当時、英詞も書けなかったし、ちょっと切なめのメロコアが好きだった事もあり、今思えば現在のWANIMAみたいな方向性だったと思う。(2018年、当時のバンド名はどうググッても僕の画像も曲も出てこないので、ここではめちゃめちゃ美化していきますw 完全にWANIMAです。)千葉ANGAという渋いライブハウスに出初めて、そこで割と気に入ってもらえて高校3年の文化祭が終わった頃に千葉パルコの向かいで行われていた野外イベントに出させてもらえる事になった。千葉LOOKに良く行っていた地元の人なら知っているであろうswiss pornoとか、ザ・コブラツイスターズ、龍之介といったメジャーレーベルのアーティストもラインナップされていた。余談だけど、チーナってバンドのリーダーが、この時同じ高校生バンドで出演しミクスチャーロックみたいな事やっていたらしい。(随分後に知るんだけどね)そして、そこにNEWAGEというバンドが出ていた。その頃既に千葉LOOKでワンマンを打つようなバンドだったみたいで、僕の高校にもファンの子がいたのか、学校内の掲示板にこのイベントのポスターとNEWAGEのCDリリースのフライヤーが勝手に貼ってあって、スゲーなぐらいに思ってたんだ。学校にフライヤーはおかしいと思うだろうけど、僕の母校は偏差値界ではアングラな、めちゃめちゃ良く言うと"自由な校風"だったんだ(笑)イベント当日は楽屋がそのNEWAGEと一緒だったんだけどドラムの人の機材にピッコロ大魔王の「魔」って紙が貼ってあって、全くどんなバンドか見当も付いてなかった。なんたって当時YouTube無いからねw自分達のきっと酷かったであろうライブが終わって、来てくれた友達とダラダラ他の先輩バンドを見てたタイミングで『涙のルージュ』は聴こえてきた。あれ?普通に良い!!えっ、良いんだけど!!率直にそう思った。僕は高校生だったけどリスナーとしては生意気にシビアだったもんで、高校生バンドとかライブハウスのアマチュアの対バン相手とか、良いと思った事なんて皆無だった。もちろんSTOROBOYをやってた頃には、周りに格好良いバンドめっちゃいたけど、やっぱりアマチュアで地方のライブハウスにお願いしてノルマ払って出てるぐらいのバンドに、良いと思えるバンドってそうそういないんだ。でもNEWAGEは良かった。CDも買ったし、その"魔"のドラムのマッチーは僕の友達がバイトしていた靴屋で、友達に仕事を教えていたバイトリーダーだったりでめちゃめちゃ仲良くしてくれたんだ。マッチーは僕よりいくつも年上だったけどマッチーで構わないと言うような、そういう人だった。そしてそこから16年後、自分の事を振り返りながらふと、これがめちゃくちゃ聴きたくなった。『ラメの溜め息』というE.Pだ。誰かに貸したっきりのCDはもちろん流通してないし、サブスクにあるわけもない。NEWAGEとひたすら検索しても出てこない!なんでこんな絞りにくい名前にしたんだ(笑)!と思っても探す術もない。。千葉出身のPONGでも知らず、手詰まりと思ってたその時、そういえばSTOROBOY時代からきてくれてるファンの人の中には千葉が地元の人も多い。ライブ後に聞くしかないなと。そして、あるライブの後に千葉ンギャ様(←今生み出した新語です)に、事の流れを説明したところ(自分のライブに来たファンにこんな事聞くヤツいないよねw すまねぇ!)NEWAGEは知らないけど、ボーカルで作詞作曲をしていた人の今なら分かると!!本人に伝言してくれると!ここへ来て急展開!ちょっと長過ぎたので次回、後編とします!またね!